札幌高等裁判所 昭和54年(ネ)272号 判決 1981年2月25日
控訴人兼附帯被控訴人
平塚武彦
控訴人兼附帯被控訴人
平塚禮子
控訴人兼附帯被控訴人
平塚弘
控訴人兼附帯被控訴人
大野和子
控訴人兼附帯被控訴人
平塚浩司
右五名訴訟代理人
藤井正章
右訴訟復代理人
村田栄作
被控訴人兼附帯控訴人
株式会社中央馬匹輸送
右代表者
菅原由雄
被控訴人兼附帯控訴人
真田新二
右両名訴訟代理人
藤内博
右訴訟復代理人
今崎清和
主文
控訴人らの本件控訴及び当審における拡張に係る請求をいずれも棄却する。
附帯控訴人らの附帯控訴に基づき、原判決主文第一、二項のうち、附帯控訴人ら各自に附帯被控訴人平塚浩司に対し金一四一万六五七九円及び内金一二九万六五七九円に対する昭和五二年三月七日から、内金一二万円に対する本判決確定の日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員、その余の附帯被控訴人らの各々に対し各金一〇一万六五七九円及び内金八九万六五七九円に対する昭和五二年三月七日から、内金一二万円に対する本判決確定の日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ超える金員の支払を命じた部分を取り消す。
右取消部分に係る附帯被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
附帯控訴人らのその余の附帯控訴をいずれも棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人兼附帯被控訴人らの、その余を被控訴人兼附帯控訴人らの各負担とする。
事実《省略》
理由
一当裁判所も、被控訴人らは各自本件事故により生じた損害を控訴人らに対し賠償する義務があり、また、被控訴人らの過失相殺の主張は採用できないものであると判断する。その理由は、原判決の理由欄の一、二及び四項に記載されたところと同一であるので、これを引用する。
二そこで損害につき判断する。
1 <証拠>を総合すれば、
(一) 亡治行(明治三四年八月五日生)は、昭和三〇年一二月ころ、佐藤ミネ(明治四一年九月二八日生)と結婚式を挙げて内縁の夫婦となり、上川郡新得町において同居生活を送つてきたものであるところ、右結婚当初の数年間、控訴人平塚弘及び同大野和子が亡治行夫婦と同居していたことがあるほかは、本件事故に至るまで、佐藤ミネと二人で生活してきたものである。
(二) 控訴人らは、いずれも亡治行とその離婚した先妻との間の子であつて、遅くとも昭和四〇年ころまでには、すべて亡治行の住む新得町を去つて、以後、札幌、東京、横浜方面にそれぞれ独立して生活してきたものであり、控訴人らと亡治行との間の交渉は時候のあいさつが交わされる程度で、札幌市に存在する控訴人平塚浩司との間に時折り往来がある程度のものであつた。
(三) 亡治行は、新得町において長年の間蹄鉄業、家畜商を営んで生計を立てていたものであるが、佐藤ミネとの結婚後は、佐藤ミネも昭和四三年ころから昭和四八年ころにかけて、農家の出面作業、土木工事の炊事手伝等をして、家計を補助していた。しかして、本件事故当時も、亡治行は、新得町役場の関係者から生活保護を受けるよう勧められながらもこれを断り、家畜商を営んで、その収入をもつて佐藤ミネとの生活を維持していたものである。
(四) ところで、佐藤ミネは、昭和四八年ころから高血圧症により手足に不自由を覚えるようになり、昭和五〇年ころには機能回復訓練のため入院治療を受けるに至り、専ら亡治行の収入により扶養されるようになつていたものであるところ、現在は、下半身不随のため車椅子による生活を送つている。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
2 逸失利益の相続分について
右認定のとおり、亡治行は家畜商を営んで収入を得ていたものであるけれども、その収入額については、これを証するに足るなんらの証拠もない。そこで右収入額を推認するに、右認定の事実、とりわけ、本件事故当時の亡治行の年齢(満七五歳)、職種、居住地域のほか、生活保護の受給を勧められながらもこれを断つて自らの収入で老夫婦の生計を立てていたこと、発病前は佐藤ミネにおいても働いて生計を補助していたこと等の事実を勘案すれば、亡治行は本件事故当時控訴人ら主張の賃金センサスによる年収一九七万五七〇〇円の七割に相当する一三八万二九九〇円の年収を得ていたものと推認するのが相当である。控訴人らは、右年収を一九七万五七〇〇円と推認すべきである旨主張するが、そのように推認すべき根拠は見出すことができない。
右認定の亡治行の本件事故時の年齢、職種等に照らせば、亡治行は本件事故後なお四年間は右収入を得ながら就労を続けることができたものと認めるのが相当である。
判旨ところで、控訴人らは亡治行の逸失利益を相続したものであると主張してこれを請求しているものであるところ、前認定の事実によれば、佐藤ミネは、亡治行の相続人ではないけれども、本件事故に至るまで二〇余年間亡治行と準婚関係にあつたものであり、内縁の妻として亡治行から扶助を受ける権利を有し、現に扶助を要する状態にあつたのであるから、亡治行の逸失利益はまず佐藤ミネの扶助に充てられるべきものであつたというべく、相続人たる控訴人らにおいて請求し得る亡治行の逸失利益の範囲は、右扶助に充てられるべき部分を控除した残額の部分に限られるものと解するのが相当である。
しかして、本件事故当時の亡治行の平均余命は7.14年であり、これは前記就労可能年数の1.7倍余に相当するほか、前認定の事実によれば、亡治行は、本件事故により死亡しなければ、佐藤ミネの療養に伴う諸雑費をも負担しつつ終生佐藤ミネを扶助したであろうと推認できること及び前記の年収額を考慮すれば、亡治行の得べかりし収入からその終生にわたる生活費及び佐藤ミネの扶助に充てられるべき費用を控除した残余のホフマン方式による中間利息控除後の現価は原審認定の金四九万二八九七円と認めるのが相当である。
亡治行の相続人がその子である控訴人ら五名であることは弁論の全趣旨により認めることができるから、亡治行の逸失利益の控訴人らの相続分は一人あたり金九万八五七九円となる。
控訴人らは、亡治行は余裕のある生活を送つていたのであるから、得べかりし収入の二割は控訴人らの相続の対象となる旨主張する。<証拠>を総合すれば、亡治行は、本件事故当時、牛二頭を所有し、約八〇万円の預金を有していたことが認められるけれども、家畜商を営むものが牛二頭を所有していたことからその生活に余裕があつたものとはとうてい推認できず、また、<証拠>によれば、亡治行の預金残高は増大するというよりむしろ減少の方向にあつたものともうかがわれるところであつて、右事実をもつて前記認定を覆すには十分でない。その他右認定を左右するに足る証拠はない。<以下、省略>
(輪湖公寛 寺井忠 八田秀夫)